• 立春, 2022 - 冬, 2021

    +雌牛の目 +Coelogyne +ポロヌフ


    マスクで覆った鼻腔にもツンとして伝うほど、新宿で交配を重ね作出された洋ランは濃縮した蜜の匂いがしていました。Coelogyne Cosmo-cristata 'Shinjuku #8'という名の品種。調べるとCoelogyneはギリシャ語由来で「穴・窪み」「雌・女性」という2語が合わさった単語だそうです。

    日曜の午後、新宿御苑にある温室で冷えた身体を温めながら、洋ランを前に思考を巡らしていました。

    去年の2021年12月、東京でのコロナ感染者のカウントが二桁台をキープしていた頃、 私はいくつかの布置をたどって、北海道は道北地域、稚内にほど近い三代続く酪農場に住み込み、150頭あまりの雌牛たちと牛飼いの方々と過ごさせていただいていました。

    朝夕、搾乳のために駆動する電動の真空ポンプがメトロノームのように規則正しい2拍子を刻みながら、一頭一頭の生命の乳頭から搾り出した白い乳を送乳パイプに流していく様をじっと眺めていました。
    人よりも牛の数の方がはるかに多いこの町の名の語源はアイヌ語でポロヌプ、広大な原野という意味があります。寒冷な気候により酪農以外の農業は行えませんが、初夏になると町の丘陵や見渡すかぎりの農地は青々とした牧草に覆われます。
    酪農場にある乳牛舎のいちばん古い部分は創業当時の煉瓦造りで、一日に6度周回する古い給餌器と堆肥出しのバンクリーナー、そして搾乳用のミルカが人の労働を補完していますが、それ以外の作業は早朝と昼と夕方の計12時間、農場のご家族の手足を使って人力で行われています。


    人と家畜動物との身体的距離の近い、人と動物とのコミュニケーションなしには成り立たない最小限の機械化のみの酪農場で、わたしも日々少しづつ指導を受けながら、サイレージ(発酵した牧草)を運搬し、保育舎の仔牛たちの糞だしを手伝い、竹箒で牛舎の掃き掃除を行い、梯子を伝って屋根裏に登り乾燥した牧草に埋もれ、甘く香ばしい香りのビートパルプを乳牛たちに給餌していました。サイレージにも乾牧草にもビートパルプにも、そしてそれらを反芻し消化した糞にも、両腕がしなり足腰に鈍い痛みが走るほどの現実的な重労働があり、少なくともそのしなりや鈍痛をわずかにでも経験しなければ、人工授精によって現れ、家畜としての生を運命づけられた雌牛たちと向き合うことできないだろうし、その毎日の終わりのない役に誇りをもって立つ牛飼いの方々の営為もただしく理解することはできないと感じていました。

    わたしがこの地を訪れた理由は、いま個人として進めているプロジェクトに関して、目に留めておきたい風景があり、そして、この酪農場での滞在を通して頭ではなく身体によってある理解に近づく必要があったからですが、人間と動物とのあいだに横たわる生命倫理についてより深く考える機会ともなりました。

    いくら人間に都合よく品種改良を加えられ、雌の直腸から直接、人工授精の針を刺して受胎させ、産まれ個体であっても、自発的に呼吸をし、ミルクを飲み(母牛の乳でなくても)、あたたかい糞をし、横になって眠ります。知らない人に怯え後ずさりし、人に甘えて駆け出そうとします。

    その生命は人間のための生産物として産まれてきたとしても、その生命の力で生きている。

    そして、時折、わたしを試すようにじっと凝視しました。 滞在の間、雌牛の目をまっすぐ見ることが憚れる理由をずっと考えていました。 写真は、滞在中に初産の雌牛が産んだばかりのF1種の雄の仔です。


    思い起こせば、2020年の夏、みちのくアート巡礼ツアー(シアターコモンズ)で原発事故のかつての避難区域を巡ったことがきっかけでした。脳内に描かれた布置をたずさえ、待機と移動を繰り返しながら、ひとや動物、自然現象に出遭い、古い学問を調べ、職域の異なる人たちと出逢い、その声を聞きました。このプロセスを経て、ようやく自分で発話した最初のプランのもつ預言的な意味に気付かされています。


    2022.02.01

  • 夏, 2021

    +太古 +記憶 +布置


    怒濤の撮影を一旦やり終えました。去年の夏の出逢いから縁と星を繋いで、そして、まだまだ旅は続きます。この半年で何度、PCRと抗原検査をしたでしょうか。その度にはらはらし、安堵しました。このコロナ禍でも星の運行は続きます。勿論、宇宙も変化し続けている。6日は満天の星空で長い尾の流れ星を何個もみました。その星の布置にこそ意味があったのだろうと。星座が秋には沈みます。太古の昔、地上での災禍を記録したのも星々の配置だったことから何を学べるだろう。


    追伸
    撮影が終わって夜中に、部屋のテレビをつけたら76年前、広島に原爆が投下された後に見た光景を描いた絵に関する番組をやっていました。平常心を保って生き続けるには容易に憶い出だすわけにはいかない、しかし常に喉元から胎深くで抱えていた76年前の鮮明な記憶、 写真ではなく描かれるからこそ伝わる惨状と苦痛、それら個別具体性を保ったまま、身体を通して写しとられ、膨大に集められたときに発揮する絵のメディアとしての機能。地下にあるシェルターのような分厚い鉄の扉の向こうに保管される態度も大きなメッセージだった。今日は長崎慰霊の日。


    2021.08.09

  • 夏, 2020

    +永い時間 +牛飼いの方角 +光のこえ





    2020.08.23


  • 春, 2020

    +covid-19 +仮想現実 +ダヴィンチの壁画

    ご無沙汰しております。
    南側の大きな窓から、晴れの日の柔らかい陽射しと肌を撫でる風が入ってきています。
    オリンピック開催にあわせて旅客機が都内上空を飛ぶようになったのは、ここ最近のことだと思いますが、室内にいても低空を横切るエンジンの音が聴こえてきます。開催が延期になっても、一度組まれたシステムは簡単には変えられない。人類のつくった大きな鳥は数少ない乗客を乗せて未だ当初の計画通りのコースで飛ぼうとしている、そんな風景に思えます。

    いま、ラジオを消しました。

    昨年末から報道局で働いています。
    毎日、多種多様なニュースが耳元を駆け抜けていますが現在、そのほとんど(ほぼ全てに近く)は新型コロナウイルス関連です。 半分、仮想現実に生きはじめていた人類が不可視のウイルスによってやはり肉体的存在だったことを思い知らせれることの皮肉を、少し前まではかろうじて口にもしていました。しかし、欧州のみならず米国も刻一刻と状況はかわり、日本も。浮遊可能な人間の思考や精神の所在は、仮想世界から現実の身体の内側に再び戻ってきているように感じます。
    紛い物ばかりの視覚情報過多の、でも形のない世界から、決して自らは眺めることのできない、けれど形ある肉体へ。見えざるもの(それは 「空気」 も含む)と対峙することで。

    しかし、このロックダウン、自粛制限が続くあいだに「会えないわたしたち」は閉じられた空間の中で通信し、仮想と生身の身体とのあいだをこれまで以上の落差で行き来するのかもしれません。

    自室に籠っていた今日一日は過去に書いたテキストを開き、読み返しました。 これはまだ、ウイルスのニュースが出る直前頃のメモ。いまの職場で働き始めてまだ一ヶ月も経っていないころに帰りの電車で綴ったもの。


    「17歳の少女が電車に飛び込んだという事(情報ではない、それは)もリアルタイムで流れてくる。赤ん坊がひかれたり、誰かが意識不明だとか、裁判で指を噛もうとしたとか。(この事件に関しては事実上他人事ではないし、みずからの心の奥底を問う必要がある)その間に経済、政治の速報が矢継ぎ早に飛び交う。砂丘が雪に覆われた、というような一瞬にして視覚的イメージが立ち上がる瞬間もある。高橋シズヱさんのあの記事、ディア・ロゴスは若松英輔の本を思い起こさせる。痛みを感じながら強くなくてはならない、が、ひどく感情が揺さぶられるときはある。こんなに情緒的では駄目だと戒めながら同時に正常な反応なのだと自分に言い聞かせる。背後で涙が出そうになったという声が聞こえた。プロフェッショナルでもそうなのだから、このままでいよう。同じフロアの空間で同じように心を痛めながら、それぞれがそれぞれの役目を果たそうとしている現場。わたしは椅子に深く腰掛け息を吐く。目の前の仕事(仕事には職域がある。私は記者ではない。)を片付ける。しかし、いつだってそれらのニュースは常に断片なのだった。しかし、それらの断片は後戻りの出来ない深い悲しみを含み、ぶつけようのない怒りを覚えさせ、ときに現実よりも美しい景色を想起させる。わたしはただこの場所で生暖かく息し続ける頼りないひと欠片だと感じる。それは生きていることの痛みであり、ただそれだけであるという安堵感でもある。しかし悲しみも怒りも生まれるその源泉は極めて人間主義的だと感じる。ヒトとして生きてることを忘れるくらい自然と同化する場所に行きたくなる。でも・・この気持ちもまた、当然、不自然なのだろう。生き物としての人間の姿、それは何を鏡にしたら見えるのだろう。」

    添付は昨年12月にイタリア・ミラノを訪れた際、スフォルツェスコ城で記録したダヴィンチの壁画。樹の枝葉が天井一面を覆うようにして描かれていて、その下に佇むと大樹の幹のなかにいるような感覚になります。


    2020.0406