Polyphony 1945ポリフォニー 1945 @ 資生堂ギャラリー
- 2019
- shiseido gallery / 東京
(c)Kiyono Kobayashi
「Polyphony1945」(ポリフォニー1945)とは、第二世界大戦中に都内の女学校を卒業したばかりの女性たちによって書かれた、数十通にもおよぶ手紙の内容をモチーフにした多声音響作品であり、それら手紙に纏わるプロジェクトのことである。
2016年、作家である小林清乃は当時、通っていた東京都内にある古書店で店主から偶然、あるものを手渡された。それは真鍮の留め具で閉じられた手作りと思しき古い木箱で、蓋を開くと、幾つもの封筒に収められた手紙の束が入っている。封筒に捺された消印の多くは昭和20年の日付けになっている。元来、私人によって「書き残された言葉」または「語られた声」に興味を持って美術作品を制作していた小林は、その戦中に書かれたであろう手紙の束が入っている木箱を購入し、自宅に持ち帰った。私信の便りを第三者である者が開き、読むことには気が引ける思いがしたが、便箋に綴られている崩し文字の美しい筆跡にも目を奪われ、手紙の書かれた日付、内容を無心で追いかけた。
すると、徐々にそれらの便りが1945年の東京大空襲後に都内の高等女学校を卒業した若い女性たちによって書かれた、或る一人の同窓生宛の手紙であるということ、また、それらは同年三月から八月の敗戦の時を超えて、翌年三月までの一年間のあいだに綴られたものであり、彼女たちが卒業後に方々に散々なって疎開し、その地での境遇や戦下を過ごす事の葛藤、そして、かけがえのない友人との繋がりを求めて書き記したものだということがわかってきた。これら手紙の受取主は、この激動の一年間に書かれた手紙をおそらく他の便りと分けて整理し、木箱のなかに保管していたのだと思われる。
手紙の記述によると、それぞれの家庭の都合で彼女たちは疎開していた為、敗戦を迎えるまでの体験やその後の運命が、身を寄せた先の場所性で大きく異なっている。空襲のない安全な地にいた者、東京の惨状に身を置いた者、広島の里山に疎開し、田舎はつまらないからと勇んで都市に出ていき、原爆に遭った者(彼女からの元気な声は途絶える)。離れていてもラジオから聴こえてくる音楽放送にともに耳を澄まし、友人たちの結婚の知らせに沸き立ちながら、かつての学舎、学校工場、自宅、大切な楽器が焼失し、何のために生きているのかと嘆く日々。原爆投下後の錯綜する安否情報に戸惑い、親友を喪い、それでも戦争が終わって自分たちの将来に夢を馳せる気持ち、そのようなエピソードやモノローグを語る「声」が綴られていた。おそらく長年、木箱の中で静まり返っていたその言葉たちは誰かに読まれることを待っていたかのように、読まれることによって再び「声」として立ち上がり、交差し、多声音楽が進行していくかのように、1945年の彼女たちの固有の物語り、旋律を奏でているように思えた。
小林はこの音のイメージによって、これら手紙の記述を原作とした音響作品を構想し、数十通の手紙の内容をすべて書き起こす。そして、匿名性を最大限高めた上で独自に改変した朗読台本(スクリプト)を作成した。それぞれの手紙の書き手の女性たちの名前は万葉集に登場する植物の名を仮名として当てている。
続いて、その朗読台本をもとにネット上のオーディションによって集めた現代の若い女性の役者7人と「かつて書かれた手紙を、私たちはいかに読むことが可能か」についてワークショップを行う。さらにその役者たちと個別に稽古を行い、役者ひとりにつき、手紙の書き手ひとりの朗読台本を割り当て、スクリプトを朗読してもらい、その音声をレコーディングした。それは手紙に書かれた言葉の記述を「語り」という「声」に変換する作業でもあった。
そうして作られた音声データは、複数の独立した声部が重なり、協和し合いながら進行していく多声性(ポリフォニー)の様態構造を参照して、音響作品として構築される。具体的には、手紙が書かれた1945年から翌46年の実際の時系列に沿って各音声データは並べられ、展示空間に配置されたマルチチャンネルスピーカーから幾つものモノローグやエピソードを語る声が共時的かつ複層的に同時再生される。一台のスピーカーから特定の一人の「語り」が聴こえてくる。
併せて、この作品では「語り」のボイスサウンドだけではなく、手紙の記述にも登場するピアノの演奏も取り入れられている。1945年当時、日本の同盟国であったドイツの作曲家 ヨハン・ゼバスティアン・バッハによって書かれた対位法のピアノ曲を複数の声部ごとに録音し、展示空間でそれら声部を別々のスピーカーから同時再生することで合奏するという試みも行なっている。
そのように一度解体して、声部を独立させ、再度構築し直して再生する音楽を背景に、文語的な大文字の歴史とは区別されていた戦中、敗戦後を生きた若い女性たちの個々の「声」が、現代の女性たちの声帯と「語り」を通して再生され、時と空間を超えて、彼女たちがいま手紙のやりとりしているかような交響性を生み出す作品空間が立ち上がった。小林は、この作品を「Polyphony1945」(ポリフォニー1945)と名付ける。
また、この作品を制作するにあたって、小林は手紙の記述から女性たちが通った都内の女学校を突き止め、現存する校友会協力のもと、手紙の著者と著者遺族の捜索を行っている。その捜索のプロセスは長期に渡るもので平坦な道のりではないがプロジェクトの根幹をなすミッションであり重要な意味を含んでいる。これまでに数名の著者と著者遺族と連絡が取れており、捜索のための書簡なども作品展示の際は公開している。
(c)Kiyono Kobayashi
資生堂ギャラリーでの展示では、手紙の朗読台本を読んだ役者たちとレコーディング前の稽古で話した内容を冊子「採録集 -Polyphony1945 - 朗読のまえに、役者たちと話したこと」として纏めており、ワークショップの映像とともに公開した。
Photography:Ken Kato