正しく憶い出すために

  • 2011
  • Spiral / 東京

この数年、わたし宛にYという人物から何通ものメールが送られてきていた。その内容はYの日々に感じた事、子供の頃の記憶、母親や兄弟の事、君やあなたという誰かに宛てて書かれた詩、書きかけの童話、いつも聞こえてくる音楽のことなど。私は、その叙情的なメール文に惹かれていたとともに、Yの抱える不全さとそれに相反する予感的な意志に、限られた「生」の時間と「永遠」への条件というものを考えはじめていた。しかし、しばらくしてYからのメールが途絶える。私はYの故郷、現在住まいである東京を訪ね、さらにYの兄弟の残した足跡をたどり、彼らが向かった先の記録を探した。 Yの綴ったメール文と記録写真、旅の先々で手にしたモノを、現在という確かに開かれているはずの空間に展示することは、メールが打たれた「その時」と読まれる「今」、そして、メールの中に書かれているもっとずっと過去の時間への往来を可能にする。

追伸
誰かの事を「正しく憶い出す」ということは、きっと、そのひとの細かなすべてを正しく覚えていることだけではないだろう。そのひとがそのひとであるために持ちえていた私的な物語りを、全的な意志を、何者として存在したのかを、もしくは本当は何者として存在したかったのかを、来たる次の瞬間に静かに移行し続けることであり、それを憶い出し、考えるためのきっかけとなる「記憶の種」を保持し続けることではないだろうか。そして、「未来」という来るべき時間の流れの中で、繰り返し繰り返しそのたびに新しく、その種を広げる。

  • 正しく憶い出すために
  • 2011
  • 素材 : 出力紙、インクジェットプリント、Cプリント、ゼロックスコピー、カッティングシート、木製テーブル、ベニア板、アクリル、生花、河水、河土、書籍、地図、楽譜ほか
  • サイズ:500 × 500 ×500 cm
  • インスタレーション
  • 会場:「SICF11 受賞者新作展」Spiral、東京