Anatomy of the Coelogyne
コエロギネの解剖学
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- 2024
- Sammu 100nengo Art Festival 山武市百年後芸術祭
- Sasagawa Farm 笹川農場 / Sammu, Chiba, Japan 千葉県山武市
千葉県山武市柴原地区。一万年前の縄文海進によってその昔、海だった地域。現在もその名残である砂層の露出した岩塊や土に埋もれた貝殻が30戸ほどの小さな集落の田畑や脇道に顔をのぞかせている。その集落の中にあるかつての酪農場・笹川農場は、代々この地区で農業を営んでいた家に生まれたひとりの青年が高度経済成長期の1967年に妊娠中の牝牛一頭と牝の子牛二頭を成東にあった家畜屋から買ってきて、飼育しはじめたところから始まっている。
1967年から2023年12月までの56年間、酪農と畜産を営んでいた笹川農場は約40年の間、牝牛を育て、仔を産ませ、その母乳を市場に出荷してきた。そして、その後は牝牛に食肉用の仔を産ませ、肉牛の飼育をして農場を閉業した。青年一代で始め、家族を立派に養い育て、青年一代で農場の幕を閉じた。
笹川農場には乳牛舎、育成舎、出産房という3つの畜舎がある。青年の設計で造られた木造建築で全長30m、左右16のストールを有し、随時30頭の母となった牝たちが生きた乳牛舎と、人工授精によって産まれた牝の仔たちが育った育成舎、この二つの畜舎が作品の上演、展示の舞台となった。
「コエロギネの解剖学」
- マルチサウンドインスタレーション(立体音響) / ミクストメディア
乳白色の液体が流れた送乳パイプ、錆びた固定具の付いた縄が巻きついている柱、生温かい舌で水を掬った鉄製の椀、前後に踏みしめられた跡のついたストールの床、世代を繋ぎながら生き抜いた動物たちの息遣いの証明が残る空間。
乳牛舎では家畜として生きた牝牛たちの一生の物語りと、この島国における彼女たちの母乳利用に関する地政学的な歴史を人間の女性の声による語りと環境音、音のパターンを用いた音響を通して、紐解いていく。
この畜舎で、そして、この惑星各地の農場で、彼女たちの乳房から人類のための母乳が搾られるとき、いっせいに鳴り響くリズムがある。ミルカと呼ばれる真空ポンプを使った搾乳システムは、彼女たちの滴る乳白色の液体をチューブへと吸引し、畜舎空間に張り巡らされた送乳パイプに流すため、真空と開放を繰り返す二拍子を奏でる。北海道でのフィールドワークでレコーディングしてきたその二拍子は単音で分解、再構築(抽象化)され、ビート(音のパターン)として農場のなかで繰り返され、通底する。
「笹川青年」へのインタビュー、コロナ禍における酪農場でのフィールドワーク、西洋植民地主義によってアジアに持ち込まれた家畜動物の研究、ギリシャ神話、旧約聖書、家畜の文化史、近代工場畜産による乳食文化発展のリサーチをもとに、「語り」のスクリプトは執筆された。
「語り」のなかで牝牛たちは「彼女たち」と呼ばれ、人類の「乳母」として謳われる。そして、その「語り」は人間の女性によって声を与えられ、ビートが鳴り響く中、語られる。
欧米から島国に輸入された近代工場畜産制度と、その制度のもとに生を受けた生命の物語りを往復しながら、語りは展開していく。
これらの語りは、西洋における口承バラッド(=物語歌)の構造から「リフレイン」「コントラスト」「平行性」「対話」のメソッドを応用して、構築されている。決まり文句(フック)となる語りは反復の様式を用い、場面ごとに挿入される句の内容は、人類と家畜である「彼女たち」との絡れた関係が露わになるべく次第に変化していく。
150年前まで「彼女たち」の母乳を利用し、日常的に口にする習慣がなかったこの島国で、なぜ今日のように乳食が根付いたのか。また、この惑星で動物の母乳という我が仔の生育のために生成される体液が、なぜ他種である人類の食料として浸透しているのか。笹川農場誕生の物語りを入り口に、農場が海の底にあった一万年前へと話は遡る。農場からはるか9千キロ彼方の大陸で一万年前、野生動物だった「彼女たち」。人類が「彼女たち」を手懐けたとき、母乳を差し出していたのはむしろ人間の女性だった。そして、紀元後、聖書の創世記(ベレシート)に「彼女たち」はすでに「家畜(ヘブル語 בהמה =ベへマー)」という姿で登場する。大航海時代、「彼女たち」は新大陸に運ばれ、西洋コロニアリズムによってアジアにも運ばれる。そのタイミングで列島が開国。島国では明治天皇を巻き込んだ「ミルク習慣」のプロパガンダが起こる。その後、時を経て、第二次世界大戦の後、GHQの食糧導入計画によって、ついに「彼女たち」の母乳は島国に爆発的に広がる。惑星社会と島国の歴史、その背後に横たわる人類の"進化"とポリティクスを横断しながら「語り」は畜舎の中で進行する。
並行して、「彼女たち」の物語りが語られる。
湯気たつ羊水を纏って母の子宮から産まれ落ち、その瞳にこの世界の光を採り入れ、個性ある精神と情動を持った生命として生きる「彼女たち」。ビニールの乳頭から溢れる人工乳をたらふく飲んで育ち、配合飼料と乾草を食べ、囲いの中で立ち上がり、駆け、排泄をし、眠り、母に触れることなく、やがて娘の姿へと成長する。成長した「彼女たち」はトラックの荷台に積まれ、共営の放牧地に送られる。そこで、同じ使命を持った仲間の「彼女たち」と出会う。彼女らは束の間の青春を謳歌する。
「彼女たち」が人工的な操作によって品種改良がなされ、クローンのように増殖させられていく存在であっても、初めての「発情」は来る。人類はそれを利用する。「彼女たち」は一生のうちで雄の存在を知ることはない。仲間と過ごす放牧地でいつの間にか、妊娠し、身籠る。なぜなら、「彼女たち」の様子はいつも見守られ、人間の人工授精師さんの技はとても確かだから。「彼女たち」に植え付ける「種」はいくつかの厳選されたメニューから選ばれる。
やがて、「彼女たち」は農場に戻り、湯気たつ羊水を纏った仔を産む。自らの遺伝子を持つ仔を産むこともあれば、誰かの受精卵を迎え入れ、彼女の子宮は培養装置としてのみ利用されることもある。その仔に自らの母乳を与えて育てることはなく、その代わりに、「彼女たち」の乳房から滴る乳白色の液体は、人類のために捧げられる。それは「彼女たち」が妊娠し、出産するたびに繰り返される。
そして、「彼女たち」は人類の「乳母」という「労働者」としての使命を生きる。
終わりのない2拍子のビートを刻む中低音用のスピーカー、女性の声によるボイスサウンドと酪農場のアンビエントサウンドを合奏するフルレンジスピーカー、それらを立体的に組み合わせ構成した音の配置と音場により、30mを有する畜舎そのものをサウンドシステムとして機能させ、「畜舎」という制度そのものを問う。
千葉県は酪農発祥の地という観光資源(※1)をもっている。この惑星における人間の欲望を発端とする 人間と人間以外の存在との関係性の絡れについて、いまだ動物の気配の残る空間に足を踏み入れ、語りとアンビエントサウンドの展開に耳を澄ませることで身体ごと思考できる場を発生させた。
(※1)江戸時代後期、幕府が所有していた御料牧場・安房嶺岡牧(現在の千葉県南房総市)では白牛を飼育していた。しかし、島国で乳製品が食されていたとされる最古の記録が残るのは飛鳥時代であり、薬の効能があるとして飛鳥地方で天皇や貴族のあいだで食されていたとされている。また、近代以降の島国の乳食文化の発祥は、開国後に横浜の外国人居留地に持ち込まれた乳牛の飼養と搾乳技術を、千葉県出身の青年が居留していたプロイセン人から学び、東京府で牛乳販売業を始めたことにある。
「ポロヌプ ー乳の流れる地ー」
- 映像インスタレーション 18分
近代以降、島国における酪農業の始まりには大きくふたつの流れがある。ひとつは開国後、横浜の外国人居留地から始まり、東京府内の牛乳搾乳業拡大のため、千葉県の嶺岡牧をバックヤードとして発展した流れであり、もうひとつは明治維新以後の北海道開拓使を出発点とするものである。笹川農場の育成舎では、コロナ禍にフィールドワークとして滞在していたポロヌプ、北海道天塩郡幌延町の酪農場で撮影したドキュメンタリー映像を上映した。幌延町は、福島第一原子力発電所の事故後、原発から半径20km圏内の警戒区域内で牛を飼育していた家畜農家に牧草の緊急輸送を行った地域でもある。
また、幌延(ほろのべ)という地名は、「広大な原野」という意味のアイヌ語の「ポロヌプ」を語源としている。
2021年冬、東京でのコロナ感染者のカウントが二桁台をキープしていた頃、私はいくつかの布置をたどって、北海道は道北地域、稚内にほど近い三代続く酪農場に住み込み、150頭あまりの雌牛たちと牛飼いの方々と過ごしていた。
朝夕、搾乳のために駆動する電動の真空ポンプがメトロノームのように規則正しい2拍子(105bpm)を刻みながら、一頭一頭の生命の乳頭から搾り出した白い乳を送乳パイプに流していく。
人よりも牝牛の数の方がはるかに多いこの町の名の語源はアイヌ語でポロヌプ、広大な原野という意味がある。寒冷な気候により酪農以外の農業は行えないが、初夏になると町の丘陵や見渡すかぎりの農地は青々とした牧草に覆われる。
酪農場にある乳牛舎のいちばん古い部分は創業当時の煉瓦造りで、一日に6度周回する古い給餌器と堆肥出しのバンクリーナー、そして搾乳用のミルカがひとの労働を補完しているが、それ以外の作業は早朝と昼と夕方の計12時間、農場のご家族の手足を使って行われる。
人と家畜動物との身体的心的距離の近い、最小限の機械化のみの酪農場で、わたしも日々少しづつ指導を受けながら、サイレージ(発酵した牧草)を運搬し、保育舎の仔牛たちの糞だしを手伝い、竹箒で牛舎の掃き掃除を行い、梯子を伝って屋根裏に登り乾燥した牧草に埋もれ、甘く香ばしい香りのビートパルプを乳牛たちに給餌していた。サイレージにも乾牧草にもビートパルプにも、そしてそれらを反芻し消化した糞にも両腕がしなり足腰に鈍い痛みが走るほどの現実的な重労働があり、少なくともそのしなりや鈍痛をわずかにでも経験しなければ、人工授精によって現れ家畜としての生を運命づけられた牝牛たちと向き合うことできないだろうし、その毎日の終わりのない役に誇りをもって立つ牛飼いの方々の営為も理解することができないと感じていた。
わたしがこの地を訪れた理由は、個人として進めているプロジェクトに関して目に留めておきたい風景があり、そして、この酪農場での滞在を通して頭だけではなく身体感覚によって人間と動物とのあいだに横たわる生命倫理の問題について近づく必要があったから。
いくら人間に都合よく品種改良を加えられ、人工授精で受胎して産まれた個体であっても、自発的に呼吸をし、ミルクを飲み(母牛の乳でなくても)、あたたかい糞をし、横になって眠る。知らない人に怯え後ずさりし、人に甘えて駆け出そうとする。そして、時折、わたしを試すようにじっと凝視する。
「ポロヌプ滞在記」より
(2024年11月 一部加筆修正)
Photography:Kenji Agata 協力:山武市百年後芸術祭
「コエロギネの解剖学」 語りのスクリプト
引用文献
ヘブライ語聖書対訳シリーズ1 創世記1 ミルトス・ヘブライ文化研究所
雪印メグミルクHP(標語「未来はミルクの中にある」)https://www.meg-snow.com/
ミルクジャパンHP(標語「牛乳が日本を元気にする」)https://www.milkjapan.net/pc/
「牛の文化史」フロリアン・ヴェルナー/著
参考文献
プル族 チエルノ・モネネムボ/著 現代企画室
食べること考えること 散文の時間 藤原 辰史/著
いのちへの礼儀 生田 武志/著
現代思想 2009年7月号 「特集 人間/動物の分割線」 青土社
現代思想 2022年6月号 「特集 肉食主義を考える」 青土社
動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある ジャック・デリダ/著 マリ=ルイーズ・マレ/編 鵜飼哲/翻訳 筑摩書房
たぐい vol.3 奥野克巳 近藤祉秋/編
たぐい vol.4 奥野克巳 近藤祉秋/編
ギリシア教訓叙事詩集 アラトス/著 伊藤 照夫 /翻訳 西洋古典叢書
乳母の文化史 一九世紀イギリス社会に関する一考察 中田 元子/著 人文書院
ミルクの文化誌 足立 達/著 東北大学出版会
牛乳と日本人 雪印乳業株式会社広報室/編 新宿書房
人とミルクの1万年 岩波ジュニア新書 790 平田 昌弘/著 岩波書店
動物と人間の文化誌 歴博フォーラム 国立歴史民俗博物館/編 吉川弘文館
ミルクの歴史 「食」の図書館 ハンナ・ヴェルテン/著 原書房
おいしい牛乳は草の色 牛たちと暮らす、なかほら牧場の365日 中洞 正/著 春陽堂書店
東京ミルクものがたり 東京酪農乳業 史跡を巡るガイドブック 前田 浩史/編著 農山漁村文化協会
他